サロン.コム    20011126


イブ・エンスラー 「アフガニスタンはいたる所に存在している」

By ジャネル・ブラウン


「ワギナ・モノローグ」の小説家、劇作家兼活動家が性差別、ブルカを脱ぐ危険さ、そして、我々がいま刈り取り始めたばかりの、自分で蒔いた暴力の種について語る。

イブ・エンスラーはアフガニスタンに行ったとき、そこの女性たちにワギナのことを尋ねなかった。彼女が言うには、アフガニスタンにはそれよりももっと切迫した問題があったからである。「女性は殴打され、植えており、そして孤児院で生きていました。そこでは、『じゃあ、あなたのワギナについて語りましょう』なんていう話は、ひどく場違いに思えました』、と彼女は言った。

その代わり、著名な劇作家、小説家であり、「ワギナ・モノローグ」を率いる精力的な女性活動家エンスラーは アフガニスタンの女性たちに対する彼女の思いをアフガニスタンの国家的な性差別という、より大きな問題へと目を向けた。アフガニスタンを一年前に訪れて以来、エンスラーはアフガンの危機的状況と、アフガンの女性活動グループであるRAWAへの寄付の両方を増やすための活動を続けている。RAWAはタリバン政権下で抑圧された女性たちに地下で援助活動をしている。エンスラーは、「ワギナ・モノローグ」の有名人による売り切れ御礼の基金集めのための上演(これは世界中で女性に対する半暴力を呼びかけるV-Day活動の一環として行われたもの)などを通して、今やアフガン女性の代弁者としてなくてはならない存在になっている。

エンスラーは、性の同一性と半女性暴力の関わりについて、上にも明らかなとおり女性のワギナ信仰などを通して活動を進めてきた。彼女は、攻撃の手をゆるめない。自分でも認めているが、彼女は急進的なフェミニストで、女性たちをもっとも居心地悪くするものに真っ向から向き合わせる。彼女の最終目的は、できれば10年以内に女性に対する世界中での暴力を撲滅させることである。いまも彼女は冴えたユーモアのセンスと、息をもつかぬエネルギー、そしてグレン・クローズやヒラリー・クリントンから、我々がコーヒーをすする喫茶店のウェイトレスに至るまで会う人誰からも多くを引き出せる類まれな才能をもってこの気の滅入るような作業に取り組んでいる。


RAWAについて間違ったことをいう人たちがたくさんいます。たとえば、RAWAは毛沢東主義であるとか、共産主義であるとか等です。彼女たちはとても闘争的でとても純粋で、そして急進的です。そこに私は大変惹かれています。人々は、RAWAが妥協しない人々だといいます。それはその通りです。しかし、ブラボー!私は彼女たちに、自分ととても近いものを感じます。 イブ・エンスラー

驚く間でもないが、エンスラーは現在のアフガニスタンの状況に強い意見を持っている。 そして、そこで怒っている暴力の繰り返しを終わりに導くためのオーソドックスでなく、理想主義的なビジョンを持っているのである。

最初にアフガニスタンの状況を知ったのはいつですか?

アフガニスタンの状況はかなり前からしっています。タリバンが登場した頃だとおもいます。私の頭からはいつもアフガニスタンのことが離れませんでした。とても神秘的なつながりを感じています。誰にも心の中のある「場所」があるでしょう、私は、ボスニアとアフガニスタンには前に行ったことがあるような気がするのです。

私は新しい著書「The Good Body」のための取材旅行に出かけるつもりでした。これは、世界中の女性がそれぞれの文化によってどのように体を形作ったり、変えたり、傷つけたり、隠したり、ということに関する本です。そして、これを知ったとき、私はアフガニスタンへどうしても行かなくてはすまないようになったのです。なぜなら、女性は基本的に体を隠すからです。彼女たちの体は、その文化の一部ですらないのです。これは、私が見ている限り、一番極端な例です。

アフガニスタンへはRAWA の女性たちと一緒に行ったのですか?

RAWAはウェブで見つけました、私はインタビューをさせてくれるように頼みました。我々はパキスタンのホテルで会い、そこで彼女たちにインタビューされました。彼女たちも私たちを秘密組織に連れていっていいものか判断するためでした。そうして、RAWA は私たちを信じて内部を見せてくれたのです。

パキスタンには彼女たちの作った数々の信じられないような孤児院や学校がありました。そこで少女たちはRAWAの若いメンバーとして育てられており、革命家として育っていたのです。これは、非常に信じられないほどの光景でした。ある孤児院での少女たちのグループでは、皆が自分たちの過去の話をし、それぞれが涙を流し、他のメンバーがそれを抱きしめてあげるという風でした。これほど感動的なものはかつて見たことがありません。皆、RAWAが自分たちの命を救い、そして自分たちの母になったのだといいます。この少女たちはそれぞれの家族であり、姉妹であり、自らの命さえもアフガニスタンの女性達の開放にささげるというのです。

私はすっかり感動しました。私は細かい調査をするタイプではありません。だからジャーナリストにはなりませんでした。人々が私を感動させ、そして私の中に入り込んでくるので、私はものを書いているのです。私はRAWAの最大の擁護者になったのですが、面白いことに私自身が生きるために苦しんでいる女性たちを擁護しているような気がしています!

「擁護者」という言葉をつかうのは、なぜですか?

RAWAについて間違ったことをいう人たちがたくさんいます。たとえば、RAWAは毛沢東主義であるとか、共産主義であるとか等です。彼女たちはとても闘争的でとても純粋で、そして急進的です。そこに私は大変惹かれています。人々は、RAWAが妥協しない人々だといいます。それはその通りです。しかし、ブラボー!私は彼女たちに、自分ととても近いものを感じます。 

10年前、私たちは全く反対のことを考えていました。タリバンを支援し、オサマ・ビン・ラディンやその郎党を作り出してしまったのです!いま、何を信じればよいのでしょう?」 イブ・エンスラー

アフガニスタンの危機と女性がおかれた状況について世界の目が集まっていますが、これはあなたの使命である女性抑圧の撲滅に役に立っていますか?急進的な変化が起こるとおもいますか?

そうなればいいと思います。すべてのことは今野段階ではわかりません。アフガニスタンの状況は非常に流動的で、深い意味においては非常に混沌としています。私は、人々がこの件で深い部分の物事を見ていないことにショックを受けています。驚き、ではなく、ショックです。

北部同盟がカブール入りし、女性がブルカを脱ぎ捨てていることを知ってどう思われましたか?

とても混乱しました。じつは、最近はいつもこのような気持ちなのです、つまり、まったくの曖昧さの状況におかれているという感じなのです、。髭をそることができるようになった男性や音楽を聴いたり通りで踊ったり出来る解放された人々のことをおもって喜びにむせび泣き、また同時にこの後に何が起こるのだろうという大きな恐怖を感じています。

北部同盟は世界の注目が注がれているために、規律ある行動をするとおもいますか?

北部同盟がカブールやカンダハル入りせずに、すべてのグループが平和に暮らせるに越したことはなかったのですが、今や彼らは内戦の瀬戸際に居るとおもいます。

問題なのは、我々アメリカは外交政策を持っていないということです。我々のポリシーとは何でしょう?もし信じるポリシーがなければ、いつもフラフラと立場を変えるものです。10年前、私たちは全く反対のことを考えていました。タリバンを支援し、オサマ・ビン・ラディンやその郎党を作り出してしまったのです!いま、何を信じればよいのでしょう?

今一番心穏やかでないことは、子供や女性たち、そして虐げられたアフガニスタンの人々に爆弾を落としていることの次に我々が外交政策についての話をしようとしていないことです。今回のことから学んだことを政策として協議することについてはどこにも視野に入っていません。

でも、世界から悪を一掃するという話は多くもたれましたが?

「今回の軍事行動には多分ターゲットというものがあるのでしょう。アフガニスタンに爆撃をし、全くコントロールされていない行動をしている(北部同盟)と一緒に共同戦線をはっているのですから。でも、それがアフガニスタンの将来のためになにかをしているのでしょうか?答えはノーです。なぜならアフガニスタンの将来を考えていないからです。アメリカがオサマ・ビン・ラディンを見付け、そのままアフガニスタンを去っていったとしても私は驚きません。アメリカはいつもそうしてきたのですから。それがもともとの問題なのですから。
イブ・エンスラー

私はこの「悪」というものにちょっと抵抗を感じています。悪とは、とても厄介な言葉です。私は女性刑務所で作文のグループを主催しており、そのほとんどが殺人をおかした人たちです。彼女たちは悪い人間だと呼ばれますが実際はそうではありません。彼女たちは恐ろしいことをしました。それは変えようもない事実です。でも、彼女たちは複雑な、多面的な、心を砕くような、普通でない、個性的な、混乱した怒れる人たちなのです。タリバンもそうです。少なくとも私はタリバンについてこう感じています。

悪という概念は物事を極度に単純化してしまいます。曖昧なニュアンスを破壊し、二重性や複雑さを取り去ってしまうのです。彼らは暗く、私たちは明るい、そして、彼らは悪で我々は善だと言いますが、そんなのはすべて嘘っぱちです。我々は皆、素晴らしい善と愛を受け入れる許容力をもっています。そして、同様に恐ろしい行いをするキャパシティーももつのです。私は最善の人たちが最悪の状況におかれたとき、恐ろしい行為をするのを見てきました。逆に、悪人が最善を行うこともです。その理由など誰も知りません。私たちはいろいろな出来事に左右されるからです。私は、悪人を咎めようとは思いません。

私たちは(悪の撲滅ではなく)希望と善を世界に創り出していくべきなのではないでしょうか?世の中には貧困、不平等と不正が存在します。我が国アメリカはどうやって世界からこれらを取り除こうというのでしょう?我が国アメリカは、どうやって今までにないほど強大になろうというのでしょう?私たちは寛大さをもっと押し拡げ、貧しい人や教育の機会がなかった人々に対する責任を果たさなくてはなりません。残念ながらこのような議論はまったく効いていませんし、それどころか我が国のアプローチは非常に恣意的であるとおもいます。 我が国には多分ターゲットというものがあるのでしょう。アフガニスタンに爆撃をし、全くコントロールされていない行動をしている(北部同盟)と一緒に共同戦線をはっているのですから。でも、それがアフガニスタンの将来のためになにかをしているのでしょうか?答えはノーです。なぜならアフガニスタンの将来を考えていないからです。アメリカがオサマ・ビン・ラディンを見付け、そのままアフガニスタンを去っていったとしても私は驚きません。アメリカはいつもそうしてきたのですから。それがもともとの問題なのですから。

あえて反対の立場から考えるならば、アメリカがアフガニスタンにとどまり今後の状況をコントロールすれば、帝国主義だと非難されるでしょう。

私は、アメリカはアフガニスタンにとどまるべきではないとおもいます。暫定政府を作ったり、女性の人権や民主主義の樹立を助けるのは国連軍の仕事だと考えています。暫定政府は、現在イギリスが話しているような公安維持目的のものではなく、世界や国連に指示された政府でなくてはなりません。.

この一連の事柄のなかで、女性のおかれた立場はどうでしょう?アフガニスタンの人口の65%は女性です。にも関わらず、アフガンの統治に携わっている女性の数はゼロです。この国で女性が何かの代表になっている例を私は知りません。私が今までに学んだことがあるとすれば、それは女性たちに暴行したり卑しめたりするような行為を見れば、その国のことがわかります。そのような行為は文明が崩壊した兆候です。アメリカを見ればわかります。アメリカは世界中でももっとも女性が暴力行為を受けている国の一つなのです。

次のアフガニスタンはどこになるでしょう?女性問題一つをとってみても何年も前から人々はアフガニスタンには問題が煮詰まってきていると行っていました。他に問題が噴出する一歩手前の国はありますか?

アフガニスタンは至る所に存在しています。こんなことを言わなくてはならないのは辛いのですが、この惑星上で、女性がどのような目に遭っているか、余り良く伝えられていないとおもいます。この世界の女性のうち、3人に一人がレイプされ、暴力を受けているのです。基本的に性による抑圧といえるでしょう。南アフリカでは14歳以下の58人の少女が毎日レイプされています。現在の世の中でこのような問題が完全にコントロールされている国は存在しないのです。これは疫病のようなものです。人々がこのようなことを聞くことに耐えられないので、私がこうやって話すのです。この問題が家父長制度によるものであることを人々が理解しないならば、何かの終末が訪れるような気がします。

あなたならどう解決しますか?

まず最初に、いま実際に起こっていることに触れなくてはなりません。つまり我々はエスカレートする暴力というパラダイムのなかにおかれているということです。私の意見では、企業の貪欲さや世界中の企業のグローバル化戦略がその端緒です。女性はその構造の中においては消費財なのです。つまり、貢献していようとしていまいと、単なる肉体にされているのです。私たち女性は、立ち止まって自問しなくてはなりません。「このパラダイムの中で私たちは生きてゆきたいのだろうか?このパラダイムが私たちのほしいものなのだろうか?私たちは人間として死んだような暮らしをしたいのだろうか?」と。

ジェームス・ギリガンの「暴力回避」という素晴らしい本があります。彼は基本的に屈辱と恥がすべての中心になっていると述べています。相対的な貧しさ、人種差別、子供の虐待、なと、他人に屈辱を与える行為がたくさん羅列されています。世界を再構成するためには、恥を奪回し、屈辱を回復することに関するすべての事柄に目を向けなくてはなりません。

私たちが考えるべきことは、どうやって暴力を終わらせるかということです。私の場合は、女性に対する暴力です。女性に対する暴力とは何なのか、そのメカニズム、そしてその軌道はどういうものか?そして、どうすればそれを止めさせることができるのか、ということです。

現在の政府の権力者を鑑み、あなたが今おっしゃったようなイデオロギーはこの状況のもとで達成できると思いますか?

私はこれがブッシュ政権下で起こるとは思いません。何かの間違いで不釣り合いな人間がリーダーになってしまうことはたまに起こることです。

私は、国際的な政党の幻想を抱いています。世界政党のようなものです。自分自身を世界の中の一部と考え、グローバルな政党を作るということです。将来、国家ー州という制度が終わった後にならないと実現することはないでしょうが。

あなたは爆撃に反対していますが、アフガニスタンはタリバンを除去しなくてはならないように思いますが。

私は何よりも自分の身を通して暴力は暴力を生むだけだということを知っています。そして一時的にカブールでは明白な勝利を得ましたが、その暴力は他の多くの人たちに暴力の種を植えました。私たちが生きている間に今まで見てきたことすべてに匹敵するほど恐ろしい暴力の種です。私自身殴られて服従し、黙らされ、おびえ、恐怖によって無口になった人間として、人々が戻ってきたときに何が起こるか分ります。それは生存のためであり、暴力行為の有機的な部分なのです。私は、そこに隠されたごまかしを信じません。

私は防衛行為を信じないとは言いません。もし誰かがあなたに向かってきたら、私はあなたを守ります。 でも、このこととアフガンで起こっていることは全く別物です。私たちのテロが彼らのテロよりも優れたものであるなどというまやかしは、私は信じません。

あなたはイスラムに対して何の問題も感じませんか?イスラムは女性に対して差別的だという人もいます。

性差別をしない宗教なんて言うものがありますか?

私は、肉体は豪華で神聖なものだとおもいます。女性はいつ何をきて地上を闊歩しても良い筈です。もしも誰かがベールを付けていたとしたら、それは彼女たちが自分をセクシーで、エキゾチックで、エロチック、そして素敵で、力に満ち、美しく、守られているという感じ、つまり力になるためです。逆に、人から遮断し、存在を消し、声を隠し、権利をすべて放棄し、セクシーさを消し、生を否定するためにベールをかぶっているとしたら、それは問題です。世界中でどのような布地を用いた輻輳っであったにせよ、この考え方が基本です。ベールがどうこうということではありません。

宗教についても同じ事だと感じています。もしも宗教が自らの肉体の要求を解放し、我々の体や性器について良い感情をもち、心に愛を持てるとしたら、それは素晴らしいことですし、逆に自分自身を取るに足らないものと感じたり、恥じたりするようなものであれば、私には耐えられません。

矛盾しているとお感じになるかもしれませんが、先日の悲劇は、世界がいっせいに対話を始める良い喫賭けになったとおもわれますか?

何千人ものひとが殺されたことに対して、何の良いことがあるでしょうか。誰もそんな目に逢うにふさわしい人などいなかったし、誰もそんなことを頼まなかったし、申し込みをしたわけでもありません。そのような考えかたは私は全く理解できません。人を殴ったり殺したりすることで何を他人に教えられるでしょう。

しかし、テロで亡くなった人達の命を無駄にしないためには、私たちは今すぐ立ち上がらなくてはなりません。この誤りから抜け出すために、この犠牲を自身の深みからの呼びかけとして用いなくてはなりません。私は実際そう感じています。私は幸運なのです。5年の間私はある考え、つまり女性の性器についての考えを世界中に広めてきました。私の劇は現在45カ国30の言葉で上演されています。 今年のV-Dayは世界中の200の年の600の大学で行われました。

これは、私にとって、せかいせいとうの素晴らしいモデルになっています。分散化したコミュニティによる組織が非常にうまく運営されるのを見てきました。もしも、ある基礎的な部分、つまりすべての人間は食事、住居、教育を受ける権利があるということなどを教義として合意できればうまく行くかもしれません。 暴力の撲滅はもっとも必須の事柄であり、これについても活動してゆけるでしょう。さあ、どこで始めましょうか?




http://www.salon.com/people/feature/2001/11/26/ensler/index_np.html?x より








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